第43回(2019年) 第42回(2018年) 第41回(2017年) 第40回(2016年)
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第43回大会報告
丸山 雅夫(第43回全国大会実行委員長)
西脇 良(第43回全国大会担当理事)
松浦 典文(第43回全国大会担当理事)
日本カトリック教育学会第43回全国大会は、2019年8月30日から9月1日までの3日間、南山大学(愛知県名古屋市)を開催校として、延べ約120名の参加者を迎えて行われました。
今大会のテーマは、「問われる〈命/いのち〉の教育―現状と課題―」としました。今日の日本の社会においては、悲惨な事件(児童の虐待死、死刑など)を中心として、「いのち」をめぐる様々な問題が人々の大きな関心を呼んでいます。しかし、「いのち」をめぐる問題は、われわれが日常的に直面(見聞き)する具体的な事件に限られるわけではありません。世界に目を向けるとき、「食べることができない」「適切な医療が受けられない」といったような形で、直接的な事件とは関係なく「生命」を失ってしまう(奪われる)人々が多く存在することに気づかされます。「いのち」の尊重こそは、「人間の尊厳」を守るための必須の前提でありながら、「いのち」が尊重されていない人々が存在するのが現実です。こうした現実に気づくとき、われわれは何をなすべきか、われわれには何ができるかが、厳しく問われることになります。特に、教育現場に立つわれわれは、こうした問いかけを避けて通る(放置したままにする)ことを許されない立場にあります。このような認識のもとに、本大会のテーマを設定し、「いのち」に関わる具体的な問題を手掛かりとして、深く考える場を提供するように準備してきました。
初日のラウンドテーブルは、南山大学附属小学校を会場として、「カトリック小学校における子ども・家庭支援のあり方」と「カトリック教育は青年期の自己肯定感を育むことができるか」の2つの企画のもとに、企画者からの(活動)報告にもとづいて、参加者との間で活発な議論が交わされました。例年同様、平日の夕刻の開催ということで参加者は限られていましたが(約20名)、それだけに濃密な議論が実現しやすいものになり、ラウンドテーブル企画がすでに定着したことを実感するものでした。
2日目の午前中は、鳥巣義文南山大学長と本学会の吉岡昌紀会長のご挨拶、丸山雅夫実行委員長による大会趣旨説明に続いて、シンポジウムを行いました。シンポジウムは、終末期にある人の「いのちの尊厳」をどのように考えるべきかという観点から、「終末期における生命の尊厳」を共通テーマとしました。丸山雅夫(南山大学法務研究科・刑法)が、趣旨説明の後、「終末期医療と司法」の関係をめぐる現状を紹介したうえで、個人の自己決定権を前提とする司法的対応の限界を明らかにしました。続いて、秋葉悦子氏(富山大学経済学部教授・刑法:バチカン生命アカデミー理事)に、世俗では主流になっている司法的対応の限界と問題点を意識したうえで、「人格の尊厳」を基調とするバチカンの人格主義的アプローチ(特に現教皇フランシスコのメッセージ)を分かりやすく紹介していただきました。人格主義の立場は、カトリック教会や信者を含めて、我が国では必ずしも正確に紹介されていなかったものであり、教えられるところが多くありました。さらに、本年の4月~6月にローマ・カトリック大学医学部付属病院での臨床実習を経験した近松勇門氏(富山大学医学部医学科6年)からは、「病者の人格全体に釣り合ったケア」の実際についての実践報告があり、人格主義的立場が具体化されるひとつの場面として、考えさせられるものでした。
午後は、途中の休憩をはさんで、第1セッションと第2セッションでそれぞれ3件ずつの自由研究発表が行われました。発表者は大学院生と大学教員で、教育現場からの実践報告もなく、例年のような幅広さは見られませんでした。合計で6件という発表数も例年に比べて少ないものであった一方で、すべてを同一会場で行うことによって参加者全員が議論に参加できたという点は肯定的に評価してよいように思われます。ただ、今後の学会の活性化という点では、準備委員会の情宣不足を反省しております。
自由研究発表後に会員総会が行われ、学会会則が大幅に改正されたことを特記しておきます。会員総会に続いて、学内のカフェテリアに会場を移し、和やかな懇親会が行われました。新入会員の紹介をはじめ、旧交を温めたり、情報交換の場として、多くの有意義な交流ができたものと思います。
3日目は、菊地功大司教(カトリック東京大司教区)から、「アフリカ宣教師として学んだこと―カトリック教会のいのちのとらえ方―」と題する基調講演をしていただきました。教皇ヨハネ・パウロ2世の回勅『いのちの福音』(1995年)の冒頭で明らかにされている「人間の尊厳と生命に対するすべての脅威について無関心でいるわけにはいきません」という教会のあり方を切り口として、ご自身の宣教師としての体験(1986年から1994年までのガーナ山奥での活動)、さらには帰国後の「カリタスジャパン」の業務への関わりを中心に、ざっくばらんで明快に語っていただきました。それらから学んだ、「表面的な数を追い求めた宣教にはあまり意味がなく、必要なことはしっかりと福音のメッセージを心に伝えること」と「人間は『衣・食・住』が充足しても、それだけで生きる希望を見いだす存在ではない」との言葉からは、物質的には豊かとされている国で教育に従事する者として、重い宿題を課されたものと思っています。なお、本年度は、講演者との日程調整の関係で、基調講演とシンポジウムの日程を逆にしましたが、全体のまとめを最後にすることにも意味があると感じたところです。
本大会の開催に当たっては、開催校の南山大学と吉岡昌紀会長をはじめ事務局の方々、さらに多くの方々にもご協力をいただきました。心より感謝を申し上げるとともに、学会の場に参加していただいた会員の皆さんにお礼を申し上げます。本大会が、何らかの形で今後の皆さんのお役に立つことができるよう願っております。
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第42回大会報告
山内 宏太朗(第42回全国大会実行委員長)
稲葉 景(第42回大会担当理事)
日本カトリック教育学会第42回全国大会は、白百合女子大学大学(東京都調布市)を開催校に、2018年9月7日から9日までの3日間、約90名の参加者を迎えて行われました。
今大会のテーマは「岐路に立つカトリック教育―多様な学び・多様な支援を求めて―」としました。キーワードである「岐路」ということばには、もしかすると違和感あるいは戸惑いを感じたかたもいらっしゃるかもしれません。「岐路」というと、ある種危機的な場面での「右か、左か」「あるか、ないか」など二者択一のイメージをお持ちになるかと思います。確かに今、カトリック教育機関を見てみると、少子化や過疎化だけでも学校経営の大きな課題ですが、さらに、日本の多くのカトリック学校では設立母体である修道会の修道者が激減し、これから建学の精神をどのようにつないでいくのか、まさに「生きるか、死ぬか」危機的な場面を連想させるかもしれない。しかし、わたしたちの考える「岐路」は、二者択一ではなく、過去にも現在にも起こっている、さまざまな問題に対して、カトリック教育を行なうミッションをともにするものとして、どのように歩みを進めるのか、「とき」にかなった真摯なまなざしを意味しています。現代における岐路を、カトリック学校がともにどのように歩むのか。このような想いを大会テーマに込め、大会準備を行なっていきました。
初日のラウンドテーブルでは3つの企画がエントリーし、企画者からそれぞれのテーマについての活動内容のご紹介があったり、参加者との議論を深めていたり、平日夕方からの開催でしたが、非会員も含めて多くのかたに活発にご参加いただきました。二日目の午前中は、本学田畑邦治学長、本学会吉岡昌紀会長のご挨拶、山内宏太朗実行委員長による大会趣旨説明の後、今回のテーマである「岐路に立つカトリック教育―多様な学び・多様な支援―」に基づき、基調講演が行われました。
堀内光子先生(アジア女性交流・研究フォーラム理事長、元国連/ILO事務局長補、前文京学院大学特別招聘教授)には、グローバル社会だからこそ起こっている負の問題を世界がどう乗り越えることができるのかについてお話しいただきました。特にSDGs(持続可能な開発)の理念である「誰一人取り残さない」ことについては印象的であり、まさにイエスの教えの根本を現代の場面でどう行動するのかを深く考えさせられました。また、堀内先生ご自身のフィリピンなどでの活動のお話から、「違い」を認め、多様性を尊重するための教育の重要性を改めて感じ、カトリック教育の現場において、わたしたちがどのように展開できるのか、大きな示唆をいただいた気がします。
午後は2グループに分かれて合計11件の自由研究発表が行われました。発表者は大学院生から中・高等学校の教諭、大学の教員と幅広く、昨年同様今回も教育現場からの発表も多く見られました。この学会はカトリック教育という名のもとに、幼稚園から大学までさまざまな教育現場の教職員の集まる珍しい学会であるので、今後の学会がさらに幅広い研究や情報交換の場となることができればと感じました。
夜は学内のカフェテリアを会場にして、和やかで、楽しい懇親会が行われました。初対面だったり、久しぶりの再会であったり、多くの交流ができたのではないかと思います。
三日目は、メイン会場であるクララホールを会場にして、大会テーマである「岐路に立つカトリック教育―多様な学び・多様な支援―」のもとでのシンポジウムを開催いたしました。
姉妹校である仙台白百合学園中学・高等学校の土谷志帆先生には、フィリピンにある姉妹校セント・ポール・カレッジ・パッシグ校との「フィリピン・ボランティア・スタディ・ツアー」のご紹介やツアーでの生徒の学びについてお話しいただきました。
上智大学名誉教授でNPO足立インターナショナルアカデミー塾長の中村友太郎先生には「外国につながる子ども」やその家族の日常的な必要に応える活動を通して行われている「共育」について分かち合っていただきました。土谷先生にはグローバル(global)な支援のまなざしと学び、中村先生にはグローカル(glocal)な支援のありかたをご紹介いただき、カトリック学校だからこそ持つ国内外とのネットワークや支援の可能性を考えることができました。
また、学校法人聖学院理事長・聖学院大学学長である清水正之先生には、キリスト教教育機関の歴史、プロテスタント系大学の位置づけから日本の道徳教育との関係、さらには聖学院で計画されている共同体としてのヴィジョンなど、幅広くお話をいただきました。プロテスタント教育に携わっていらっしゃいますがカトリック信徒である清水先生のキリスト教教育や道徳への着眼点は興味深く、改めてわたしたちのカトリック教育と道徳、共同体性について考える機会をいただいたと思います。
開催に際しては、本学のスタッフだけではなく、ご協力をいただきました内海﨑貴子先生(川村学園女子大学教授・本学非常勤講師)や吉岡昌紀会長をはじめ、多くの方がたにご協力にいただきまして、こころより感謝を申しあげます。本大会が少しでも参加者のみなさまの糧となり、これからのカトリック教育のために働くエネルギーとなることを願っております。
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第41回大会報告
川野 祐二(第41回全国大会委員長)
島田 美城(第41回全国大会実行委員長)
日本カトリック教育学会第41回全国大会は、エリザベト音楽大学(広島市)を開催校に、2017年9月8日から10日までの3日間、約70名の参加者を迎えて行われました。
平和都市広島においての開催とあれば、平和という文言抜きでテーマを考えることが難しく、「平和を希求するカトリック教育」というテーマを掲げることになりました。大学に隣接する世界平和記念聖堂入口の横に設置されている教皇ヨハネ・パウロ二世の銅像には、教皇が広島に来られた時に発せられた「広島平和アピール(1981)」の一部を記した銘板に「広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです」と刻まれています。広島での開催と平和の希求は切り離せないものだと考えます。
本大会ではいろいろな立場や考え方から平和へのキリスト教的取り組みや平和教育の実践を語っていただくことを計画し、大会を準備いたしました。
初日のラウンドテーブルでは例年のように3つのテーマを設け、企画者からそれぞれのテーマについての活動内容などをご紹介いただきました。
A.8月15日の『戦争と平和を考える授業』を続けて
企画者:梁瀬 正彦(清泉女学院中学高等学校元教諭)
B.建学の精神をどう伝えるのか ―カトリック大学における教職員養成について―
企画者:稲葉 景(白百合女子大学)
C.学習者に沿った英語教育の課題と問題点
企画者:行廣 泰三(聖心女子大学)
二日目の午前中は、音楽大学らしく、舞台正面のパイプオルガンでの奏楽から開会行事を始め、その後基調講演が行われました。
基調講演:「一人ひとり自らの手で紡ぐ平和の意味」 講演者:森 重昭氏
森重昭氏は『原爆で死んだ米兵秘史』を40年の歳月をかけて細部に亘るまで調査して著書に纏められ、第64回菊池寛賞を受賞された歴史研究家です。2016年にアメリカのオバマ大統領が広島を訪問した折には、森氏は原爆で亡くなった12名の米軍捕虜の原爆犠牲者の登録に尽力したとして原爆慰霊碑の前でオバマ氏から抱擁され、たいへん有名になりました。講演ではその研究のための地道な努力の積み重ねの様子と最後に輝いた成果が語られましたが、平和を紡ぐというのはこのような一人ひとりの努力が縦糸や横糸となり紡がれていくのだということを感じさせてくれました。この講演については、翌日の地元紙でも大きく報道されました。
午後は2グループに分かれて7件の自由研究発表が行われました。発表者も中・高等学校の教諭、院生、短大・大学の教員と幅広く、教育現場からの発表が多くみられました。内容は学校における宗教教育や建学の精神に関するもの、宗教科教員養成に関する調査結果、死生教育についてなど多岐にわたり、それぞれ活発な質疑応答が行われました。
夜は大学近くのホテルを会場に和やかで、楽しい懇親会が行われました。ここでも大学院生によるマリンバの演奏で花を添えさせていただきました。
三日目は朝から現在耐震工事中の世界記念聖堂地下祭壇でミサののち、本学ザビエルホールを会場にして、「平和を希求するカトリック教育」をテーマにシンポジウムを開催いたしました。
発題① 高見 知伸(広島女学院中学高等学校)「広島女学院中学高等学校におけるグローバル教育の実践 ―平和教育と多文化共生・人権教育を軸として―」
発題② 梁瀬 正彦(清泉女学院中学高等学校元教諭)「夏休みに戦争と平和の授業を続けて ―清泉女学院中学高等学での実践―」
発題③ ミカエル・カルマノ(聖園女学院中学高等学校)「ドイツの学校教育における平和教育」
プロテスタントのミッション校の高見教諭からは、スーパーグローバルハイスクールの誇る、多様な内容が緻密に組み立てられたダイナミックで実践的な平和教育のカリキュラムと実践の報告があり、司会者をはじめ会場からも感嘆の声があがりました。また、内容に多文化共生や人権という視点を入れることにより、聖書に共感するがクリスチャンではない教員(Anonymous Christian)が取り組みやすくなり、クリスチャン教員が減少しているという問題点を克服する力として働いているという提案は目から鱗の指摘でした。
梁瀬元教諭の長年にわたるユニークで地道な平和教育の実践は、社会の問題や平和を多様な教材を準備して問い続けるという教科を超えた取り組みです。先生を慕う生徒や保護者達の求めで、退職されてからも夏休みに開催し続けているそうで、熱い教員魂を示されました。
カルマノ師からはドイツにおける自国の歴史の真摯な反省に基づいた平和教育の在り方について示唆を受けました。30分の時間をとっていた全体討議は時間が足りなくなるほど白熱したものになり、質問も消化しきれないほどでした。
大会開催に際して、多くの方々のご協力に心より感謝を申しあげます。本大会が未来のカトリック教育のエネルギーになることを願っております。
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第40回大会報告
荒木 慎一郎(第40回全国大会実行委員長)
本カトリック教育学会第40回大会は、長崎純心大学を開催校に、9月2日から4日までの3日間、70名を超える参加者を迎えて、長崎市内で行われました
カトリック教育が、今まさに「転換期」を迎えているという認識は、カトリック教育に関わるものの共通認識になっているように思います。転換期にこそ原点に帰って思索を深めるのは、「学会」のあり方にふさわしいものであり、日本のカトリックの原点、長崎が学会の場として選ばれた意味をそこに見出そうと思いました。カトリック教育を原点に戻って考えようという開催校からの呼びかけも込めて、「長崎のコレジヨがよみがえる」を大会のテーマに選びました。
初日のラウンドテーブルは、浦上天主堂の近隣にある純心女子高等学校の江角記念館で開催されました。「カトリック学校における教育実践」「私立学校に合った英語教育の課題と問題点」「日本におけるカトリック幼児教育界の今後の方向性について」の三つのラウンドテーブルが設けられ、筆者は「カトリック学校における教育実践」に参加しました。このラウンドテーブルでは、純心女子中・高等学校教諭の佐古照美シスターと聖母の騎士高等学校理事長の崎濱宏美神父からそれぞれの宗教行事について、ご紹介頂きました。
純心女子中・高校の聖母行列、60年以上続いている毎朝のロザリオの祈りなど、カトリック教会の長い伝統の中で育まれてきた行事が、今も脈々と受け継がれていることを知りました。また崎濱神父は、自らが発案した聖母の騎士高校の聖劇が、生徒たちの人間形成に大きな役割を果たしてきたことをユーモアたっぷりにお話しになりました。ザビエルの時代のイエズス会宣教師の報告には、府内の教会で降誕祭に信徒による聖劇の上演を司祭が提案し、信徒たちがいきいきとそれに参加する姿が描かれています。聖母の騎士高校の聖劇もこの伝統につながるものであり、生徒や信徒の能動性を引き出すという点で、現代のアクティブ・ラーニングに通じるものがあると思いました。
二日目は基調講演と自由研究発表が、長崎市三ツ山の長崎純心大学キャンパスで行われました。基調講演には、アメリカ・サンフランシスコ大学リッチ研究所のアントニ・ウセレル神父をお招きし、「ペドロゴメスの『講義要綱』とコレジヨの信仰教育という演題でご講演頂きました。
ウセレル神父が話されたのは、ザビエルの日本布教開始から30年後、巡察師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日し、キリスト教の日本文化への適応が課題として意識され始めた時期のことです。ヴァリニャーノは、日本の教会の発展のために日本人司祭の育成が必要と考え、コレジヨを府内に設立。そこにコインブラ大学で教えていたゴメスが赴任し、日本人学生のためのコンペンディウム(講義要綱)を作成しました。この講義要綱の中には、キリスト教を日本文化に適応させるための様々な工夫が施されていました。
ウセレル神父のお話を聞きながら、講義要綱の一つ一つの工夫の根底に、キリスト教の本質を違えずに日本文化に適応させるための、神学的叡智が働いていることに気づかされました。「転換期」と位置づけられる現代のカトリック教育においても、本質を見抜く神学的叡智を基盤において、新しい工夫を考えていくことが必要だと思いました。
午後からは、二つのグループに分かれて、9件の自由研究発表が行われました。研究発表内容は、カトリック教育の歴史・哲学・制度・ケーススタディなど多岐にわたり、活発な質疑応答が行われました。また発表者の所属も、大学院生を始め、中学・高校・専門学校・大学と幅広く、教育現場と密接に結びついた本学会の特色を示すものとなりました。
夜には本学のコミュニケーションホールで、和やかな雰囲気の中で懇親会が行われ、多くの会員が親睦を深めました。
三日目は、長崎市立山にある長崎歴史文化博物館で、「日本カトリック教育の過去・現在・未来」をテーマにシンポジウムが開催されました。この博物館は、キリシタン時代には山のサンタマリア教会が建てられ、禁教令下ではキリシタンの取り締まりを行った長崎奉行所が置かれていたところで、カトリック教育の原点を考えるにふさわしい会場でした。
シンポジウムは、長崎純心大学教授の古巣馨神父、日本カトリック学校連合会事務局長の品田典子先生、大阪星光学院教諭の岡本大二郎神父を発題者にお迎えし、長崎純心大学石田憲一教授をコーディネーターに実施されました。
古巣神父は、現在日本の教育の中で重視されている「生きる力」の育成は、キリシタン時代からカトリック教会が脈々と伝えてきたものであること。カトリック教育が第三の創設期にある今、このことをカトリック学校は自覚し、「生きる力」をさらに伝えていく必要性があることを、強調されました。品田先生もやはり、カトリック学校が転換期を迎えているという自覚のもとに、カトリック学校が抱える諸問題を指摘された後、未来に向けて日本の教育とカトリック教育との協力の必要性を指摘されました。また協力の基盤として、「自立・協働・創造」の三つの理念を示されました。
岡本神父は、大阪聖光学院教諭としての経験を基に、キリストの教えを生徒に伝えることの様々な困難を具体的に話して下さいました。しかし発題の最後には、生徒たちの作ったドン・ボスコの歌を披露され、生徒が心の底ではキリストの教えに対して、心を閉ざしているわけではないとうことを示されました。フロアからは、カトリック学校という枠の中ではなく、より広くカトリック教育という視座に立つべきだといった意見が出されました。
聖書で準備を表す40という節目に迎えたカトリック教育学会の長崎での大会。本大会が、準備の時期の最後にカトリック教育の原点に戻り、今後新たな「転換期」「第三の創設期」に向かって行く、そのようなきっかけとなったとすれば、開催校一同としては望外の喜びです。